カウンセリングについて考える(22)

(22)  事例研究とスーパービジョンの重要性

 さて何とか一人前のカウンセラーとなってからも、読書による知識の吸収もさることながら、臨床的感性と思考力を絶えずリフレシュして鈍らせないことが大になってくる。

 そのためには、事例研究を絶えず行うことと、自分の行ったカウンセリングの症例について、個人的にスーパービジョン(SV)を受けたり、症例検討会にケース報告を出して、他者からのフィードバックを受けたりする必要がある

 しかしこの世界では、一旦資格を取ってからは、症例発表もしなければ、個人SVも受けることも忌避するカウンセラーが結構いるのではないか。特に個人開業や大学相談室あたりでは、症例研究会などをほとんど開かず、個人としてもSVも受けないまま、ずるずると自己流のカウンセリングを続けているカウンセラーが多いように見受けられる。これは実に危ういことである。

 自分のぼろをさらけ出して、人の批判を受けるのは確かに辛い。事例会などでフロアから出てくる意見は、発表者の欠点を指摘する粗探しのようなことも多く、発表者としてひどく傷つくことも稀ではない気がする。こんなのは発表者にとっては傷つくだけで得るところはないが、正鵠を突いた暖かくも厳しい指摘や意見を、フロアやコメンターから貰う場合も決して少なくない筈である。何も貰えず、傷ついただけで、出して損したというような場合でも――私もそんな経験がある――発表者には、ケースをまとめたこと自体で、何か自分に見えてくるメリットはあるし、悔しさの中で考えたことは、本で読んで得た知識より遥かに身に付くものである。

 私は現在行われている事例研究には、大きな不便さと欠陥があると思っている。つまり、参加者はその場で初めて配られた症例報告に慌ただしく目を通し、じっくり読み直す暇などないため、まともな意見など言えないのが普通である。一方、あらかじめ詳しい資料を貰って事前に事例を読みこなせているコメンターは有利な立場に置かれている。

 フロアにいる参加者は、そのご高説を拝聴して「成程そんなコメントが出来るんだ、このコメンターはすごいな」と感心するばかりで終わってしまうのである。せめて後でゆっくり読み直してみたいと思っても、プライバシー保護のため、研修会場を出るときに資料は全部回収されてしまうのが決まりだから、どうしようもないのである。これでは事例勉強としては、あまり収穫はないのではないかと私は思う。

 私は現在自分のカウンセリング・ルームでスタッフによるお互いの担当ケースを出し合う月例のスタッフ・ミーテングの他に、外部からの参加も可能なオープの月一度の事例勉強会を開いている。そこでは、参加者自身のケースではなく、専門誌などで既に発表されている症例をコピーして前月の回であらかじめ配布しておき、各自が事前によく読んでくるとともに、会の終了後も資料を回収しないで持ち帰ってもらい、家でゆっくり読み直すことが出来るようにしているのである

 このやり方のメリットは、何よりも事前事後に資料が手元にあるので、よく読んで自分で考えることが可能になるという点であろう。そして発表者がその場にいない分、言いたいことが遠慮なく言えるのも大きなメリットである。反対にこのやり方の欠点は、事例担当者がその場にいないので、書かれたもの以上の情報は得られないことである。しかしそのため却って、と言っては語弊があるかも知れないが、書かれた紙面から最大限の情報を掴むために、紙面には書かれていないことまで読み取ろうとする。その結果、書かれただけの文面から大事なものを――発表者自身が気づいていないケースの力動やカウンセラーの長所や欠点を――読み取る力がつくというメリットもあるのだ。私自身はこの症例検討のやり方で髄分鍛えられたと思っている。

 これ以外にも、私は「関西いのちの電話」にその創設以来30有余年関わるなかで、無数の電話相談事例の逐語禄のSVをしてきたし、関西カウンセリング・センターでもカウンセリング実習室のスーパーバイザーとして多くの面接事例のSVをさせて頂いた。そのお蔭で、事例報告の読み取りが人より若干早くなった気がするのである。そのせいか、学会の事例検討会などに出席したとき、配られた資料をその場で素早く読み込んで、コメントらしきものを述べる力が身に付いたようにも思うのである。

 カウンセラーが現役で仕事をして行くためには、ケースを理解し読み取る感性と思考力を絶えず磨かなければならない。それには、数多く事例検討会にで出るとか、難しいと感じた自分のケースについてはSVを受けるとかの努力を怠ってはならないだろう。こんなことを言うと、そこまでしなくてもケース自体をどんどん担当する中で、体験的に勉強すればよいと言う人もいるだろうが、これは間違っている。何故なら、人間は何事であれ、流れや渦の中にある時は、流れの全体やその中での自分の姿は見え難いものだからである。我流にやっているカウンセラーには、自分の癖や欠点などが何時まで経っても見えてこない。従ってカウンセラーとしての進歩も遅いのである。

 事例検討会では、たとえ自分のやったケースではなくても、カウンセラーが陥りやすい典型的な失敗やケースの流れなどがよく見えて、随分参考になるものである。ケース研究を怠り、自分のケースを振り返る機会を避けるようでは、カウンセラーとして失格である。私も昔は事例を読むことで明け暮れた時期もあったが、現在は、今述べた自分のルームでの月一度の月例スタッフ同士のケース検討会の他には、月一度行うオープンの症例研究会をしているだけである。私は現役としてカウンセラーを続けるためには、この程度の回数の症例検討は最低限の必要条件であると信じている。

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