カウンセリングについて考える(18)

(18) 「展望夢」の不思議 と「傷ついた治療者」

 先ほど,CLが癒され、変容していくプロセスには、常識を超えた謎の部分があるような気がしてならないと、述べたが、そのような心の変容の不思議を示すものとして、展望夢がある。展望夢とは、カウンセリングが始まった直後などに、CLがこれから自分が辿る変容のプロセスを大まかに展望した極めて印象的な夢のことである。勿論この夢を見た時点では、夢主にもそれが自分が辿る変化を先取りしたものだなどということは、分かる訳はないのだが、カウンセリングが終結する頃になって、振り返ると「ああ、あの時見た夢は自分が辿ってきた道を見事に先取りしていたんだなあ」と気付いて驚く訳である。

 人間には何故、このようにまだ起こってもいない未来の変化を予測する力が備わっているのだろうか。考えてみれば、本当に不思議なことだ。行き詰って途方に暮れている者――つまり意識的「自我」――には、そのような力がある筈がない。となれば、そんな狭く小さな「自我」を超えた大きな力が、無意識の中に存在していて、それがこのような展望夢を送ってくるのだと考えるより仕方あるまい。そしてそのような予知が出来る存在が、同時に変容それ自体にも深く関与していると考えるのは当然な思考回路だろう。そのような存在とは、ユング心理学でいう「セルフ」であり、響存哲学でいう「空の大悲」に他なるまい。それを置いて他の要因を考えることは出来ない気がする。

  もう一つ癒しや治療の機序に関して、ギリシャの昔から言われてきたこととして、「傷ついた治療者」(Wounded Healer)という考えがある。医学の開祖であるアスクレピオスが言った言葉だというが、癒しや治療は医者が患者の病気を引き取って、自らも病むことによってなされるということである。治療者と患者がある程度入れ替わらなければ患者は治らないというのは、なかなか深遠な考え方である。実際、カウンセリングで、COはCLの話を聴いているうちに、自分もCLと同じ苦しみや症状を呈することはよくあることだし、またCOはCLの話を聴きながら、かつて自分も病んだことのある似た体験を思い出し、昔の苦しみを心の中で再現することもある。

 「患者――治療者」関係は人間の元型的な体験パターンであって、このような対になった元型の一方だけに固定した関係はよくない。対になった立場を入れ替わり出来る柔軟さを持つことが望ましいのである。だからカウンセリングの中で、私はCO,あなたはCL,という具合に立場が固定してしまうと、カウンセリングはうまく行かないのである治療者も自らが未だ病める者であることを自覚していると、それによってCLの心に治療者像が活性化するのである。そしてここにも、響き合う関係存在としての「響存」の姿が示されているのではないだろうか。

 ある時私がカウンセラーとして関わったクライエンットの女性が、症状が消えてよくなられた頃次のような夢を見た―― 

 私はハンセン氏病を病んでいる。その私をシスターの一人が背負って、隔離病棟に運んでくださる。私はその人に申し訳なくて堪りかねて叫ぶ・・・「先生、やめてください! うつるかも知れない。病気の私を背負って下さった方がいた、というそれだけで、私は充分です。いつ死んでもいい」

 私を背負って下さっているのは、カウンセラーの先生のようでもあり、なんだか私自身のようでもあった。

 病んでいるクライエントの病を自ら引き取る治療者が、実は、クライエント自身であるということは、治療者像がクライエントの中に取り込まれたことを示す訳で、大変興味深い夢である。クライエントが癒されてきた訳がよく分る夢である。

  しかしまたカウンセリングに携わる者にとって、最も悩ましいのは、不治の疾患や、時には生得的な脳の器質上の障害を抱えているクライエントが存在することであろう。これらの疾患や障害はそのメカニズムがまだ十分に解明されていないため、我々が多少なりともその困難を軽減する策を講じたくても、有効な手が打てないままに過ぎていくのが現状ではなかろうか。人生にはそういった種類の悩みや困難も数多い。最近とみに多くなった発達障害などは、その典型的な例であろう。

 これらに対してカウンセラーの出来ることは、CLの訴えをせめて共感的にお聴きするくらいしかないような気がする。専門家の書いた本からのヒントで、具体的なアドバイスをしてみても、あまり役に立たないことが殆どである。

 このような病や障害に苦しむ人たちに対しては、カウンセリング場面以外での具体的な援助――例えば、困難を抱えながら社会の中で生きるスキルを身に付ける訓練の場を提供するとか、仕事上、また対人関係上の困難や障害を十分理解した上で、その人たちが働ける場を職場の中で提供するとか――を行う必要があるだろう。私は自分では出来ないだけに、そのような苦労多き先進的な取り組みを実践しておられる方々に、心からの敬意を表したい。

  しかしいずれのケースであれ、COや援助者が「響存」としての自覚を持ってCLに寄り添い続けることが、CLのみならずCO自身にとっても何がしかの意味を持つことは確かであろう。人が心の傷を癒され、変化していく過程は今なお謎に包まれているように私には思える。「自然治癒力」と言う言葉があるが、これなどは人間が治癒し変化していく不思議に、人間が敬意を払って付けた名前である。いかに困難なケースであれ、私たちは諦めてはならないである。

 先にあげた「響存」の定義の中で、鈴木氏は「空の大悲が宇宙を貫いて響き渡ることに促されて、人は人格となり、倫理的になるのです」と述べておられる。人間の心の中には宇宙を貫く「大いなるもの」が働いており、人間を究極的に癒すのはこの「大いなるもの」の愛なのである。また我々が自らは未だ悩める者でありながら、おこがましくも他者を救おうと発願するのも、この「大悲」の力に感応してのことであろう。カウンセラーを志すということは、そういうことではないかと思う。

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