カウンセリングについて考える(13)

(13)  CLの悩みを受け止めるCOの心の容量

 しかし、「虎穴に入らずんば、虎児を得ず」の諺ではないが、人は過去の辛い古傷,例えば生育歴での親子やきょうだいとの人間関係や様々なトラウマなどをもう一度思い出し、そこに分け入らなければ、古傷の呪縛から解き放されることは出来ない。このような古傷の振り返りは大変苦痛な作業なのである

 そのためにはその領域に踏み込むタイミングを掴むことと、苦しみの再現で倒れそうになるであろう自分を支えてくれる同伴者としてのCOを必要とする。だから来談者はCOの態度や応答を通じてその「受容と共感」の程度を、初めから慎重に測っているのである。COに対する信頼感――このCOなら何を喋っても受け止めてもらえるという信頼感――がなければ、しんどい自己探索など出来るわけがないからだ。このような信頼の絆が出来ることを「ラポールの形成」と呼んでいる。

 COの心の許容量の大きさこそがCLの自由な自己探索と気付きを左右する鍵なのだ。そして「何故か知らないが」と言うべきなのか、「だからこそ」と言うべきなのか分からぬが、CLはこのCOの心の許容量を確実に測り取るのである。COがどんなにごまかそうと思っても誤魔化せるものではない。

 では、カウンセラーの持つ苦悩に対する受容能力は何によって育まれるのであろうか? 考えられることは、同じとまでは言わないが、恐らくCO自身も以前似たようなしんどい状態を体験してもがき苦しむ中で、自己と人間についての深い洞察を得、さらに傷を癒す愛情を誰かに貰ったというような過去があったのではないかということである。そのようにして苦悩の渦から抜け出してきた人間は、苦しみの種類は違っても、苦しんでいる人がいると共感的に寄り添うことが出来て、逃げ出しもしなければ、巻き込まれることもないのだと思う。だから、これはまた後で「菩薩行」の話で触れるが、カウンセラーもまた、自ら悩める者であった過去が必要条件であるのかも知れない。一言で言えば、苦しむCLは「同類」、しかも「かつて同類であった者」を求めていると言えば、言い過ぎだろうか。私はそう考えるのが、一番当たっているように思うのだ。

 勿論、COにはカウンセリングの経験も要るし、深い知識も大切だ、しかしかつて似た苦しみを体験したことからくる、COの心の許容量の大きさやその共感力と安定感がなければ、どんなに知識や経験を増やしても、病んでいるCLを引き付けることは出来ないであろう。COがその過去を語らなくとも、CLにはその辺りが通じてしまうのである。

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