カウンセリングについて考える(12)

(12) 転移と逆転移

 また人間は、生育歴の中で重要な他者、特に両親やきょうだいとの間で体験した関係のパターンを引きずり、その後の人生における他者との関係の中で繰り返してしまい、相手を実際とは違う色眼鏡で見て反応してしまう抜きがたい傾向、というより特性がある。これは悲しいことだが、見逃すことの出来ない人間性なのである。

 例えば、父親のワンマン的支配性に強い反発を覚えて育った人は、年上の上司や先生に対してとかく反発しやすく、いい関係が持ちにくくなるだろう。二人きょうだいの兄に対して敵意を持ち、そのため親しい同胞関係を経ることなく成人したような場合、この弟はその後の人生において、なかなか親密な友達関係が持てずに苦しむかもしれない。

 この現象がカウンセリング場面で、クライエントとカウンセラーの間でも生じることは、容易に想像がつくことである。つまりフロイド以来、<転移―逆転移>の関係としてよく知られている現象である。前者が後者に否定的または肯定的なイメージを投げかけて反応することを「転移」と言い、前者からの転移反応に対して後者の中に生じる否定的または肯定的な反応を「逆転移」と言う。

 だから面接場面で、多くの場合クライエントはその成育歴の中での重要な他者のイメージをカウンセラーに投げかけ、バイアスのかかった色眼鏡でカウンセラーを見ていることを忘れてはならない。精神分析のように、それを必ずクライエントにフィードバックする必要はないが、クライエントがカウンセラーに対して強い不信感や過度の親近感などを示されたときには、そこに転移感情が生じてはいないかを考えてみる必要がある。そしてそのことで、こちらが過度の反応をしないように注意しなければならない。

 また反対にカウンセラーが、クライエントに対して過度に入れ込み過ぎたり、妙に反発を覚えたりする自分に気が付いたりしたときには、逆転移が起こってはいないかと振り返ってみる必要がある。

 しかし、このような生育歴と密着した転移とはまた性質の違う転移がある。家庭内暴力の青少年の場合がそれである。彼らの親のイメージを絵に描いてもらうとか夢で聴いたりすると、親が自分を殺しに来る吸血鬼や化け猫のイメージとなっているのでびっくりさせられることがある。これなどは、転移には違いないが、養育期の途中で両親が子どもを厳しくしつけ、しかも暖かい会話が乏しい状況の中で育ったにしても、それに対する反応としては激烈過ぎて理解しがたい気がする。これは両親のしつけが、子どもの無意識――それもユング心理学でいう普遍的無意識――内にある否定的なグレートマザー(太母)の元型を活性化したために子どもは親をあるがままの姿で見るのではなくて、ネガテブな元型的イメージの色眼鏡でしか見れなくなってしまっているのだと考えるとよく分るのではないだろうか

 元型とは、その人個人の人生の経験から生じるものではなく、その遠い先祖や民族や人類が長い歴史の中で体験したものが深い無意識内に沈殿して出来たものと言われる。この元型は遺伝し、普段は心の深層に隠れているのだが、何かあると、夢やイメージとして意識に上ってくるのである。家庭内暴力をふるう子どもの場合、子どもを呑み込む恐ろしい太母の元型が活性化してしまったのだ。だから、彼らの親に対する暴力は実は「窮鼠猫を噛む」の必死の防衛と見るべきで、ここにはいわゆる「元型的転移」が生じてしまったのだ。このような転位は容易に解消し難いものである

  しかし元型的転移はネガテブなものばかりではない。肯定的なものも当然あるのである。私が「いのちの電話」でボランテヤとして電話での相談を担当していたころのことだ。ある初老の女性でその抱えている悩みを相談するため、かなり長い期間継続的に電話をかけ続けてこられた方がいた。勿論私一人が聴くわけではなく、何人もの相談員が聴いていたわけだが、何年か経て彼女が再びかけてこられたとき、私は彼女の我々「いのちの電話」に対する並々ならぬ感謝の言葉の中に、「救済者元型」とでも言うべきものが働いていることを感じずにはいられなかったのである。人間の深層に潜む「救済者元型」が活性化して、それを我々に投げかけていることを感じたのである。

  電話相談は対面面接と違って、相手の顔が見えない。そのような状況下では、人は受話器の向こうにいるのはどんな人なのだろうと、色々想像を巡らすものだ。すると、こちらの心の中にある様々なイメージが相手に投影されやすくなるのである。誰かにすがりたいと掛けた相談電話に、優しく聴いてくれる相談員が出たとき、しかもそれが度重なったとき、掛け手の心の深層に潜む「救済者元型」が活性化してきたとしても決しておかしくはないであろう。

 そしてよく考えれば、人々の悩みを聴いて援助の手を差し伸べようと志すボランテヤ相談員の心のなかにも、「救済者元型」が活性化していると言えないだろうか。悩める者も悩みを受け止めようとする者も、等しく活性化した「救済者元型」の影響下で動かされているように思えるのだ。

 そして、このような心の深い元型的レベルで動いているカウンセラーとクライエントの間で働いているものが、<深い>転移――逆転移関係であると考えるのは理にかなっていよう。

 実はこのような<深い>転移――逆転移について言及されたのは、河合隼雄先生であった。30年以上前になるが、当時京都で行われていた事例研究会に参加していた私は、自分が行ったある女性の夢分析の事例について報告し、先生のスーパーバイズを受けたことがあった。その後しばらくして、突然先生から自宅にお電話があり、「今度東京大学である日本心理臨床学会で僕が行うワークショップ<転移について>の事例として、この前京都で君が発表したあの事例を使いたいので、用意してくれませんか」と頼まれたのである。私はその事例ではあまりはっきりとした転移や逆転移はなかったように思っていたので、「あれが果たして、今度の先生のワークショップに役立つ事例でしょうか?」と疑義を唱えると、先生は「いや、それは大丈夫です。僕がうまく説明するから任せなさい」と笑って言われたので、私も引き下がり、光栄だなと思いながらも一抹の不安を抱えながら当日に備えたのであった。

 その事例発表で河合先生が指摘されたのは、このケースでは<深い>転移――逆転移>が生じ、その中で治療が進行しているということであった。自ら夢分析を通して心の深い部分を探索した治療者の見守りのもとで夢分析を行うと、治療者と共にクライエントも深く心の中に降りて行き、父母・きょうだい・異性などの元型的イメージが活性化し、体験のやり直しが生じる。そして最後に救済者元型が活性化して、治療者に転移される。この救済者元型は治療者の内側でも活性化するわけで、そのような<深い>転移――逆転移関係のなかでこそ、クライエントはいつの間にか癒され、よくなって行くのである、と。

 そしてこのように<深い>転移――逆転移が生じているとき、カウンセリングは表面上は却って淡々と進行し、生育歴レベルでの<強い>転移――逆転移に見られるような激しさは見られないので、何も起こっていないかのように誤解されてしまうということのようだった。見かけに迷わされるなということのようだった。

 このような治療の見方、或いは転移――逆転移の見方は、今でも殆ど注目されることはないように思われる。夢を媒介にしない限り、このような見方は出てこないだろうと思えるからである。しかし夢の深さを知っている私は、このような<深い>転移――逆転移の考え方には深く納得しているのである。

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