カウンセリングについて考える(11)

 (11)  もう一つの症状の見方――因果論と目的論

 ところで、問題や症状の見方として他罰的と自罰的という区別の他にもう一つ、症状を因果論的に見るのと目的論的に見るという別がある。物理的現象の場合は全てが因果律で動いており、従って諸現象を因果論的に説明するのが普通である。このような見方や考え方に我々は余りにも慣れているので、人間の問題も同様に因果論的に見るだけでよしとして、他の見方があることを忘れがちになる。しかし、人間を含め生物の現象には目的論的な見方を欠かすことは出来ないであろう

 早い話が、生物の進化や適応現象を説明するとき、因果論だけで説明するだけではどうしても無理があり、どこかで「生存のため」の変化として説明しているケースにしばしば出会うものだ。生きものの見事な適応を「適者生存」という因果論で説明しても、明らかに無理があると感じられることが多い

 人間の場合、一層その感が深くなる。例えば風邪と言う病気を取ってみよう。風邪がウールスの感染によって引き起こされた症状で、身体に備わった外敵に対する白血球などの防衛機制では防ぎ切れなかったために起こったのだとする因果論的な見方は勿論欠かすことは出来ない。しかし同時に高熱を出すという症状によって、高熱に弱いウールスが死滅するため症状が快方に向かう事実を考えれば、高熱という症状に対する治療的効果を認めないわけには行かない。目的論的な見方も可能なのである。高熱による体力の消耗には注意が必要だが、直ちに抗生物質を飲んで熱を下げればよいというものでもないのである。

 心理的な症状でもこれと同じことが言えるのである。一つ例をあげよう。次に示す夢は不登校で二年近く閉じこもっていたある定時制高校生のF君が、私のところへカウンセリングを受けにやって来た直後に見たものである。

  金庫室に自分から閉じこもる夢

何か大事なものを探しに金庫室に入って、そこに閉じ込められる。いや、自分から閉じこもったという感じだった。重い扉が後ろでギイッと閉まったとき、それほど怖くなかったからだ。むしろ何故かホッとした。扉の前にはカウンセラーの先生がいたようだった。金庫室の中はひんやりとして、落ち着ける雰囲気だった。

 

 

 

――この夢は、不登校という症状のもつ因果性と目的性の両面をうまく示していると思う。金庫室に「閉じ込められる」という受動態の言葉からは、これがある原因からの「結果」であることが示唆されているが、一方、金庫室に「何か大事なものを探しに」「自分から閉じこもった」という能動態の表現からは、不登校という症状のもつ「目的性」が見事に示されていると思うのである。不登校は単にネガテブな原因の結果であるばかりではなく、治療的な目的をもっているのである。これは見落とされやすい側面である。

 「不登校」という名称は、事態を外側からネガテブに捉えただけの不十分なものである。この夢は、不登校という事態の本質は「内閉」(Se c lusion)であるとする山中康裕の見解の妥当性を、改めて裏書きしていると思える。「内閉」という言葉には、何か大事なものを守り育てる「ために」自分から能動的に閉じこもるという意味合いが含まれている。この夢が言わんとするのも、まさにこのことなのだから

 「内閉」という言葉は蚕の「繭籠り」を連想させる。蚕は幼虫から成虫になる前に一時期固い繭を作って、その中にある期間閉じこもることはよく知られている。この繭籠りは蚕が「成虫になるために」どうしても通過しなければならいさなぎの段階であることを我々は知っている――その時期さなぎの中でどんな変化が起こっているかは分からないのだが――が故に、決して繭を無理やり破って中からさなぎを引き出そうとはしない。

 人間も思春期に程度こそ違うが、何らかの繭籠りをするのではなかろうか。今まで何でも母親に話していた子どもが、急に喋らなくなり、自分の部屋の入口に『無断入室禁止』という張り紙を貼って、親を驚かせたという話はよく聞くことだ。不登校児はそれを明確な形でしなければならない人であるに過ぎない。それにも拘わらず、人間は不登校という閉じこもりを見ると、何とかして学校に行かせようとして、せっかく閉じこもった繭の殻をつ突いて破り、子どもを外へ引っ張り出そうとするのである。F君の家は創価学会に入っていたので、学会のえらいおじさんたちがやって来て、「学校に行けない子はまともな人間ではない。先が思いやられる」と説教するものだから、私に「あのオッチャン達が僕をつ突きに来んように言って下さい」と頼んだものだ。やっと見つけた内閉空間である金庫室の前にカウンセラーである私がいるのは、彼の繭籠りを保証する役目を任されていること示している。面接開始後にクライエントの夢に、治療者がクライエントから信頼されているかどうかが示されることが多いものだが、この場合、私はF君に一応信頼されたのである。

 では、F君が金庫室つまり閉じこもりの中で探そうとしたものは、一体何だったのだろうか。またそれを探すために彼は何をしたのだろうか。実は閉じこもりの人が獲得しようとしているものが何なのかを言語化することは大変難しい。そして彼はそのためにどんなことしたかも、外側からは全く見えてこない。何しろ彼は外的には何もせず、家に籠っているだけなのだから。彼がしているのはどうやら目に見えない内的な作業のようである

 私は不登校児が求めているものは、先ほど述べた「心の芯」であると考えている。そしてこのような「心の芯」を作るため先ずしなければならないことは、親の愛の確認と親に対する反抗(NO!を突きつける)という相反する二つのことであろう。幸いなことにF君の母親の方は、自分の子育ての失敗に遅ればせながら気が付き、何とか変わろうとされていたし、我が子を立ち直らせようと願って、毎回車でF君を相談室に連れて来る労を厭わなかった。ただ父親の変化は、先の夢にも示されたように、今さら望むべくもないことだったが。またこの少年は何もしていないように見えながら、実は学校に行かないで家に閉じこもることによって、親に対して最大のNO!を突きつけているとは言えないだろうか。親の干渉に対する反対は子どもの心に芯を育てる大きな一歩なのだ。不登校という一見マイナス面ばかりの行動にも、成長に必要なものを得ようとする目的性が垣間見える気がするのである。

 しかしF君がカウンセリングの中で取った意図的な方法は、無意識から送られてくる夢を体験することで、生き直す方法であったように思う。実は、私は多くの不登校や閉じこもりの人々が行っているのは、そのような無意識の力に頼るやり方ではないかと思っている。ただ、それが効果のあるものとなるためには、夢を一緒に尊重し、味わう同伴者としての治療者が要ることが望ましいのである。

 そのようなF君の内的な作業を詳しく紹介することはここでは出来ないが、治療者にとって大事なことは、一見マイナスに見える症状の中に、本人にかけていた何かを補償するプラスの側面があることを読み取って、それを大事に育てることであると思っている。

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