カウンセリングについて考える(8)

(8)「いのちの電話」における「常連」について

 「いのちの電話」のような電話相談では、かけ手との出会いが基本的に一回きりであるため、見立てや診断などは余り重要視されてこなかった。そこから色々問題が生じていると思われる。例えば常連のかけ手に対する対応の混乱と戸惑いがそうである。

 このようなかけ手は、一日に何回も、しかも連日にわたって電話をかけてくるのだが、訴える内容は「しんどくて堪らない」「どうしようもないから聴いて欲しい」といったものばかりで、何の変化も改善も見られない。相談員は当番に出た日にこのようなかけ手の電話を取ると、「またあの人か」とうんざりするし、こんなやり甲斐のないかけ手の電話に関わることで、相談電話をもっと必要としている他の人たちを遠避けているのではないか――そういう不満とやり切れなさで一杯になってしまうのである。 

 このようなかけ手を理解することも出来ず、対応する有効な手立ても見出しかねているセンターが多いのではなかろうか。しかしこのような場合精神医学の知見によって、このようなかけ手の病理を「対象恒常性の未確立」として捉えれば、対応は随分変わってくる筈である。 

 このような人は、いわゆる「境界例人格障害」と言われるタイプの人で、この人たちの問題は「対象恒常性」が確立できていないことにあると考えられる。どういうことかというと、2歳頃までの幼児はお母さんとの関係の中で、お母さんの見守りの中で初めて安心して遊べるのだが、お母さんの姿が幼児の視野から消えると、パニック状態になって、お母さんの姿を求めることになる。そして再びお母さんの姿が見え、お母さんに抱っこしてもらうことで安心し、元の遊びや探索活動に戻れるのである。つまり幼児にとってお母さんは心の安定を左右する“安全の基地”なっている訳だ。

 しかしそういう体験――「イナイ、イナイ、バー」――を繰り返すことで、幼児はお母さんが目の前にいなくても、視野から消えても、〈お母さんはどこかにいて、また現れてくる〉という確信がその心の中に生まれてくる。こういう母への信頼感と確信が生まれることを「対象恒常性の確立」と言っている。つまり、母という依存対象が内的な心の中に恒常的に住み着いたお蔭で、母の姿が見えなくてもパニックにならずに生きられるようになることを指すのである。この発達上の関門をクリアすると、幼児は更なる成長のプロセスに乗ることが出来るのである。対象関係論はそのような心の発達段階を特定しているのである。

 ところが世の中には不幸にして「対象の恒常性」が確立出来ず、こころの成長がストップしたままで大きくなってしまった人がいる。それが境界例人格障害の人たちである。この人たちはちょっとしたことで、母親がいなくなった時の幼児期に特有のあのパニック状態に逆戻りしてしまい、相談電話にかけてくるのだと思えばいい。だからこの人たちは何か相談をするために電話をかけてきているのではなく、幼児が母の姿や声を求め確かめようとするごとく、依存対象を確認しようとするのである。そのように考えると、このような常連電話がよく理解出来るのではないだろうか。

 そしてそのように理解すれば、この人たちの電話が相談とは程遠い泣き言のように思えても、いらいらして拒否的なることもなく、しばらくの時間暖かく対応した後で電話を切ればいいと分かる筈である。毎日、何回も長電話をかけてくるような依存症のかけ手に対しては、はっきり時間と回数の制限を言って、その線は譲らぬ姿勢を示すべきである。但し、断る時や切る時には必ず「また明日かけて下さいね、待っていますからね」と暖かい言葉を添える必要があるが。

 ウイニコットがいみじくも述べているように、育児に必要なのは何時でも何でも幼児の要求に応えられる“very good mother”(非常に良い母)ではないし、またその必要もない。そこで必要なのは“good enough mother”(程よい母)なのである。そして「いのちの電話」のように何人もの相談員を抱えた電話相談組織が、そのような「程良い母」として、このような頻回通話者の受け皿になって、そのパニックを収めてあげることが、かけ手の「対象恒常性の確立」を促す極めて治療的な対応になることが、納得出来るであろう。個人また2~3人でやっている普通のカウンセリング施設では、とてもこの人たちの要求に応えることは出来ないのである。

 

Copyright(c) Mental Care Tennoji All Rights Reserved.