カウンセリングについて考える(5)

(5)夢分析との出会い

 夢分析との出会いは、内観との出会いより後のことであった。ユング派の分析家である樋口和彦先生に夢分析を受けるようになり、2年半後に終結して以後も一人で夢を記録し、自己分析を続けて今日に至っている。つまり私は夢にはまったのである。理由は、夢分析は分析家の元へ出向く以外に特別の場所や時間の制約がない上に、夢ほど人為的な強制の効かない自発的なものはないからである。それでいて、心の最も深い動きを啓示するものだからである。夢には単に「抑圧がない」という以上のものがある。

 

 例えば、夢は内観法では出てこない心の傷やトラウマを浮かび上がらせる力がある。内観では親から受けた愛や恩に強調点を置いて過去を振り返るため、親から受けた心の傷や痛みは闇に埋もれたまま、触れられることなく残る可能性が高い。たとえそのトラウマが事実ではなく、主観的な思い込みに過ぎない場合でも――その可能性は高い――無意識内に残ったままの恨みやトラウマは、その人の心を蝕み、人生を生きづらくする。しかし夢は、このように心の奥に残る疵やトラウマを意識化させる力を持っている。例を示そう。これは分析を受けていた中で、私が見た一連の三つの夢である。プライバシーの問題があるので、自分の例を提示するのをご容赦願いたい。

 

(a)私は久しぶりに分析家のもとを訪れる。先生は機嫌がよく今までなさらなかったことを私にして見せてくださる。先生は私の身体を正面から抱いて、複雑なゆさぶりをかける。私は初め硬くなっていたが、とにかく先生を信頼して身を任せる。すると先生は目を閉じさせるように顔を手で撫で、「エイヤッ!」と掛け声もろとも、私を抱いたまま空中をトンボ返りして、畳の上に転がったのだ。私も転がったが、痛くもかゆくもなかった。不思議なことに、むしろ陶酔感と恍惚感が入り混じった状態で息づいていた。

私がゆっくり目を開けると、「ずっと眠っていたんじゃないかね。それでは駄目なんだが・・・」と言われる。「いえ、ちゃんと意識してましたよ」と答えると、「それならいい」と言われる。私が「今のは一体何なんですか?」と尋ねると、これは沖縄地方で行われる《真狐断=マコダチ》という行なのだそうだ。私は夢分析の奥義を遂に教えて下さったのだと直観的に分って、とても嬉しかった。

 ―― 何とも不思議な夢であった。現実に《真狐断》なる摩訶不思議なワークがある訳ではない。敢えて言えば、夢分析そのものがそれであるのかも知れない。憑りついた狐を絶つということが何を意味するかは、後に続く二つの夢で分かった。

  

(b)昔住んでいた田舎の家のよう。父と母と兄がいた。皆でテーブルについて話しをしていた。すると母が冷たい表情を浮かべて私を指差し、ここから出て行けという合図をする。私はカーッと怒りがこみ上げてきて「何ということをするねん!それが我が子に対して母親がすることか!」と怒鳴ってしまう。誰かが宥めようとするが「こんなことされて、黙って引き下がれと言うのか!」とそちらにも怒りの矛先を向ける。するとそれを聞いていた母が「その通りや、お前は向こうに行って欲しいんや」と言う。私はもはやその場に居たたまれず、隣の部屋に行くと、カウンセラー仲間のHさんが、優しい目つきで私を労わってくれた。私は「母にはやっぱりこういうところがあったんや。それが遂に出た」と感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――すごいショックで、目が覚めても荒い息が止まらなかった。やがて怒りがおさまった後、今度は胸の疼きを伴った激しい悲しみがこみ上げてきて、声を絞って泣くこと10分。そこでやっと感情の嵐は収まった。「私の心の奥にあった、母は兄の方を可愛がって、私は疎んじられていたという僻みがここまではっきり出ると!」という深い衝撃があった。現実に夢と同じことがあったとは思えない。しかし主観的には、これが私にとっての真実であったのだそしてこの疎外感が、私に憑りついていた狐の正体であったのだ。そしてこの狐はその正体を現したことで姿を消したのである!

  私はこの夢を読み返しながら、カウンセリングの中でクライエントの話を聴くときのように、夢主である自分に共感し、貰い泣きした

 

 

(c)私が親戚の医師のTさんと話しているとき、私の口の中から何かが出掛っているので、引っ張るとズルズルと条虫のようなものが出てきた。なかなか抵抗するので出難く、全部出し切るまで時間が掛かった。その一部始終を見ていたTさんは、それは条虫の一種で◇◇だと言う。

私はこんなこと初めてなので、びっくりするが、積年の害虫がやっと除去出来たことに深い安堵感と感動があり、しばらくは肩で息をしていた。あんな奴が身体の中に巣くっていたら、栄養が吸い取られて、体調がよくなかったのも当然のような気がした。よくまあ長年気がつかなかったもんだなと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

―― 前の夢で、自分のトラウマと悲しみに直面し、共感することによって、私は「条虫」を吐き出すことに成功し、私の心の中に長年巣食ったまま私の心身を蝕み続けてきた負荷を、やっと解消することが出来たのである。トラウマの解消は何と時間のかかる難しい作業であることか!

 

 夢はもう一人の自分が自分のことを自分に話しているものだと考えればよいだから夢を分析し、そのメッージを受け止めるのは、自分に対して行うカウンセリングに他ならない。夢の中でその主人公が感じる感情は、受け取り手のない虚空に向かって表出されるのではない。夢主が自分の夢を取り上げ、そこに表出された感情を味わい直すとき、それはカウンセリングの中で行われる「受容的共感」と全く同じく、夢主のものとなるのであるいや夢は無意識内の自分からの語りであるだけに、夢を味読することはカウンセリングでの共感より、もっと深い共感と自己理解につながると言ってよいであろう。但し、夢を見ただけで放っておいたのではそんな効果はない。

 

 ユング派の夢分析は、「個性化の過程」を引き起こすところに真の醍醐味があるのだが、その前提として、このように過去のトラウマを引き出したり、そこに抑圧された感情を再体験して解消させたりする強力な力を秘めているのである。私が夢にはまった所以である。

Copyright(c) Mental Care Tennoji All Rights Reserved.